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第6歩兵師団(だい6ほへいしだん、、第六步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。 == 歴史 == 第6師団の始まりは1948年4月29日に創設された第4旅団(初代旅団長、蔡秉徳大佐)で、同年11月20日に第6旅団に改称され1949年5月12日に師団に昇格した。 春川から洪川までの38度線警備を担当した。 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮第2軍団の第2師団が春川に、第12師団と独立戦車連隊が洪川に侵攻した。第6師団は地形を利用した防御で北朝鮮第2軍団に損害を与えた。これにより春川の攻略は遅れ、北朝鮮軍の計画に躓きが生じた。この戦いで第6師団は「春川の岩」、「華の第6師団」と呼ばれるようになった。 1950年7月初旬、第6師団は安城付近から忠州までの約70キロメートルの範囲に展開して西部の第1軍団を援護した。 1950年7月中旬、各所で抵抗しながら後退し、15日に新編の第2軍団に編入された。 1950年7月下旬、尚州市咸昌で増援の第1師団と共に北朝鮮第1師団、第13師団と攻防戦を繰り広げた。 1950年8月2日、第2軍団の命令により洛東江を渡河して洛東江防御線の防御に就くが、翌3日に早くも北朝鮮第1師団が攻撃を開始し、第6師団は抵抗しながら後退した。その後、陸軍本部の命令で義城方面に後退して、右翼の第8師団の担当正面を肩代わりさせた。ここで新たに北朝鮮第8師団が加わった。第6師団は新寧まで後退し、ここで2個師団の攻勢を阻止した。 1950年9月初旬、北朝鮮軍の9月攻勢が開始され、第6師団は北朝鮮第8師団と交戦した。 1950年9月15日の仁川上陸作戦を皮切りに第8軍は攻勢に転移し、第6師団も翌16日に攻勢をかけた。最初は進展しなかったが21日に北朝鮮第8師団を殲滅して北上した。 1950年10月15日、38度線を越えて北進し先鋒隊が鴨緑江に到達したが25日以降の中共軍の第1次攻勢で隷下の2個連隊が包囲され 、開戦以来建制を保ってきた第6師団は壊走した。 1950年11月下旬、第6師団はクリスマス攻勢に参加するが、中共軍の第2次攻勢で再び壊走する。 1951年1月、第2軍団が解体されたためアメリカ第9軍団に配属された。 1951年4月、史倉里で中共軍第20軍の攻勢を受けて崩壊。 1951年5月、1157高地(龍門山)で中共軍第63軍を撃退。 1952年4月、再建された第2軍団に配属された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第6歩兵師団 (韓国陸軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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